音楽の叡知ライブラリー

音楽に関して様々な方々が語った言葉から、人間が生きていくために不可欠な叡知を受け取ることができます

ここでは、マロ氏以外の方々の言葉をテキストや動画でご紹介します(マロ氏の言葉は、「マロの部屋」をご覧ください)

星野桃子王子ホール支配人のインタビュー

銀座の真ん中にある、素晴らしい音響の王子ホール支配人の星野桃子さんにいろいろお話しを伺いました。
コンサート・ホールの支配人がどのような視点でプログラムを作られているのか?など、興味深いお話しをいただききました。

堀米ゆず子(ヴァイオリニスト) 【「グルーヴ」心地よい演奏の秘密より】

生徒に対しては、あまり弾いて見せないようにしている。「見て真似をするのではなく、自分でよく考えなさい」ということ。「私が言ったことを自分の言葉に出して持ってらっしゃい」というのが基本。自分で納得して自分の言葉で通訳しなさいと言っている。
「ここはこうやるのよ」と言われても「もしかしたらこうかもしれない」と自分で通訳するのでもいい。江藤先生にもこうしなさいと言われて、やってもやっても上手くいかなくて、自分の言葉にして考えて、それで弾いたら、「それでいい」と言われた。

森 悠子(ヴァイオリニスト、長岡京室内アンサンブル音楽監督)

日本のお子さんは、親に育てられ、学校に育てられ、塾に育てられて、自分の声を自分できく時間が少ない。これにストップをかけるのも私の仕事です。

日本は、どのコンクールで入賞したとか、どの大学を出たとか、そんなことばかり。私がヨーロッパでオーケストラの入団試験を受けたとき、「桐朋学園を出ました」って言ったら、「それ、なんですか」で終わり。「とにかく弾いてごらんなさい」です。威張っても、委縮してもいけない。自身が正直に、自分がどう真剣に音楽に向かっているかという姿を見せれば、楽団にも引き受けてもらえるはずです。「賞をとった、勝った」の気持ちでいると、「うちにはいりません」。

 アマチュアの語源が「愛」、というのはご存じですか。アモーレからきている。だから、音楽を愛する人たちの団体がアマチュア。仕事をしながらでも音楽をしていたい、大好きだという人たちがアマチュア。

岡田暁生(京都大学人文科学研究所教授)【「音楽の聴き方」より】

「良かった」だけではもったいない。彫り込まれた表現で音楽体験についての言葉を紡いではどうか?
音楽を聴く最大の喜びは、他の人々と体験を共有し、心を通わせ合うこと。
本来音楽とはもっと自覚的に聴かれるべきものであり、聴き手も積極的に参加するべきものである。(ベッセラー)
村上春樹は「意味がなければスィングではない」で以下のように言っている。
「クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分のなりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないか。それは世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界が広がりを持ち、深みを持つようになってくる。それは他の誰の体験でもない、その人の体験なのだ。僕たちは結局の処、血肉ある個人的記憶を燃料にして世界を生きている」

大黒達也(脳科学者 東京大学准教授)【2025年10月17日面談にて】

答えの見つからない問いに対応する、自分で見つけていくことが大切。
ネガティブ・ケーパビリティーと言われるが、不確実なことを不確実のまま受け入れることが大事。
答えが無い不安さを今の子供達は感じているのではないか?
合理的な効率性を求めて、プロセスの大切さを忘れているのではないか?
音楽は自分なりに答えを見つけていくものであり、また、他の人々と協働して見つけていくもの。創造性とは人と違うことをやるのではない。既存の知識を超える、枠を超えること。

言語の前に音楽や舞踊があった。2万年前からフルートがあった。
音楽的なものからコミュニケーションのために言語が作られた。
音楽には悲しいけど嬉しいという表現ができるが、言語は悲しい、嬉しいと境界線を作ってしまう。
境界線の隙間がなくなった。同じ「悲しい」でも人によって違う。
実体験があるから人によって感情は違う。一致しないことを知ること。
怒った時に叫んだりする、それが感情表現。
言語に偏り過ぎているのではないか?