音楽の叡知ライブラリー

音楽に関して様々な方々が語った言葉から、人間が生きていくために不可欠な叡知を受け取ることができます

ここでは、マロ氏以外の方々の言葉をテキストや動画でご紹介します(マロ氏の言葉は、「マロの部屋」をご覧ください)

星野桃子王子ホール支配人のインタビュー

銀座の真ん中にある、素晴らしい音響の王子ホール支配人の星野桃子さんにいろいろお話しを伺いました。
コンサート・ホールの支配人がどのような視点でプログラムを作られているのか?など、興味深いお話しをいただききました。

子安和美(ヴァイオリニスト)
音楽が障害を克服するきっかけに・・・

音楽は、彼らが生きている世界にどう関わることができるのだろう。
特に幼い子どもがレッスンに来てくれる時、いつもそう思う。
4歳の彼が体験レッスンに現れた日も、同じことを思った。
ただ、彼は少しだけ事情が違った。
その日、お母様から伺ったお話はこうだった。
病院で、限りなく黒に近いグレーゾーンの発達障害であると診断されていること。
語彙数は4歳なりの量を知っているが、それを使った会話やコミュニケーションをとることが難しいこと。
また、じっと座っていることが難しいため、集団でのレッスンは向いていないこと。
確かに4歳にしては幼く見えたし、広いレッスン室を全速力で駆け回っていた。
「ヴァイオリン触ってみようか」という声がけは、耳に入らなかったようだった。
それでも、お母様はどうしても音楽に触れさせたいと、強く希望されていた。
こうして、4歳の男の子はレッスンをスタートさせた。
レッスンは、彼と工夫しながら作っていった。
リズムはすべて、イラストの描かれたカードを使用した。
文字や言葉とイラストは、彼の世界ではイコールで結びつかないからである。
例えば、彼は「緑」という言葉を知っている。
さらに、緑色のカードを見せて「同じものを持ってきて」と言うと、持ってきてくれる。
しかし、「緑のカードを持ってきて」と伝えると、全然違う色のカードを持ってくる、といった具合だ。
そもそも、「持ってきて」というお願い自体が、そのまま伝わらないこともあった。
音階は、2メートル弱ほどの長さの五線譜の布を床に敷き、黒い音符の形をしたフェルトを用意した。
彼が好き放題に並べた音符を音にして出し、音の高低を認識してもらった。
子どもの性で集中力は5分と保たない。
そのため、声を出して歌ってみたり、音に合わせて体を動かしてみたりと、とにかく手を替え品を替え、彼は週に1回、30分の音楽の時間を過ごした。
当のヴァイオリンはというと、レッスン後半の、疲れ始めた頃に「じゃあ休憩で、ちょっと弾こうか」と、半ば騙すように弾いてもらう程度だった。
手探りで始めたレッスンに不安もあったが、ご家族の協力のもと、彼は人懐こい笑顔で、いつもニコニコと教室に通ってくれた。
そんなレッスンが半年ほど続いたある日、お母様から驚きの報告を受けた。
彼が定期的に診察を受けている医師から、発達の面で前向きな変化がみられるという話があったというのだ。
「何かされましたか?」と聞かれたので、ヴァイオリンを習い始めたことを伝えたところ、
「あぁ、きっとそれですね。音楽がいい刺激になっているんですね」と言われた、とのことだった。
確かに、ひとつの課題に取り組む時間も、ヴァイオリンを持つ時間も、以前と比べると長くなりつつあった。
「会話」も多少増えたという体感はあったが、環境に慣れてきてくれたのだと思っていた。
まさか、医療の観点からそのような結果が出るとは思わなかった。
ご子息に負けずとも劣らず、いつも笑顔のお母様が、少し涙ぐみながら、医師からの細かい診察内容を話してくださった。
癒しの力があるだとか、胎教にいいだとか、世間一般で言われている、音楽の持つ目に見えない不思議な「力」。
まさか、それを体現してくれる子が、目の前に現れるとは思っていなかった。
特別なことでも、英才教育でもなく、ただ純粋に日常的に音楽に触れることが、彼の成長の一助になっていたのだ。
彼が、緑のカードを「みどりー!」と言いながら手渡してくれる日は、その日からそう遠くないうちに訪れた。
彼は、彼の早さで成長していった。
練習をしてこなくて怒られて泣くことも、
練習通りに弾けなくて悔し泣きすることも経験し、
小学校高学年になる頃には、お迎えにいらっしゃったお父様を背に、「泣いたことは内緒ね」と、一丁前に体裁をつくろおうとすることまで覚えた。
中学生になると、「先生は前に立つと、上手に弾けなくさせるオーラを持っている」と、人のせいにする技も身につけた。
中学校3年生になるまで一緒にお稽古をしていたが、その年齢の男の子にしては珍しいくらいお喋りな、茶目っ気たっぷりのお兄さんに成長した。
人懐こい笑顔は、そのままである。
これからの彼の世界に、ずっと音楽がそばにあればいいと願っている。
そして音楽は、またきっとどこかで彼を助けてくれるだろうと思う。

堀米ゆず子(ヴァイオリニスト) 【「グルーヴ」心地よい演奏の秘密より】

生徒に対しては、あまり弾いて見せないようにしている。「見て真似をするのではなく、自分でよく考えなさい」ということ。「私が言ったことを自分の言葉に出して持ってらっしゃい」というのが基本。自分で納得して自分の言葉で通訳しなさいと言っている。
「ここはこうやるのよ」と言われても「もしかしたらこうかもしれない」と自分で通訳するのでもいい。江藤先生にもこうしなさいと言われて、やってもやっても上手くいかなくて、自分の言葉にして考えて、それで弾いたら、「それでいい」と言われた。

森 悠子(ヴァイオリニスト、長岡京室内アンサンブル音楽監督)

日本のお子さんは、親に育てられ、学校に育てられ、塾に育てられて、自分の声を自分できく時間が少ない。これにストップをかけるのも私の仕事です。

日本は、どのコンクールで入賞したとか、どの大学を出たとか、そんなことばかり。私がヨーロッパでオーケストラの入団試験を受けたとき、「桐朋学園を出ました」って言ったら、「それ、なんですか」で終わり。「とにかく弾いてごらんなさい」です。威張っても、委縮してもいけない。自身が正直に、自分がどう真剣に音楽に向かっているかという姿を見せれば、楽団にも引き受けてもらえるはずです。「賞をとった、勝った」の気持ちでいると、「うちにはいりません」。

 アマチュアの語源が「愛」、というのはご存じですか。アモーレからきている。だから、音楽を愛する人たちの団体がアマチュア。仕事をしながらでも音楽をしていたい、大好きだという人たちがアマチュア。

岡田暁生(京都大学人文科学研究所教授)【「音楽の聴き方」より】

「良かった」だけではもったいない。彫り込まれた表現で音楽体験についての言葉を紡いではどうか?
音楽を聴く最大の喜びは、他の人々と体験を共有し、心を通わせ合うこと。
本来音楽とはもっと自覚的に聴かれるべきものであり、聴き手も積極的に参加するべきものである。(ベッセラー)
村上春樹は「意味がなければスィングではない」で以下のように言っている。
「クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分のなりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないか。それは世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界が広がりを持ち、深みを持つようになってくる。それは他の誰の体験でもない、その人の体験なのだ。僕たちは結局の処、血肉ある個人的記憶を燃料にして世界を生きている」

大黒達也(脳科学者 東京大学准教授)【2025年10月17日面談にて】

答えの見つからない問いに対応する、自分で見つけていくことが大切。
ネガティブ・ケーパビリティーと言われるが、不確実なことを不確実のまま受け入れることが大事。
答えが無い不安さを今の子供達は感じているのではないか?
合理的な効率性を求めて、プロセスの大切さを忘れているのではないか?
音楽は自分なりに答えを見つけていくものであり、また、他の人々と協働して見つけていくもの。創造性とは人と違うことをやるのではない。既存の知識を超える、枠を超えること。

言語の前に音楽や舞踊があった。2万年前からフルートがあった。
音楽的なものからコミュニケーションのために言語が作られた。
音楽には悲しいけど嬉しいという表現ができるが、言語は悲しい、嬉しいと境界線を作ってしまう。
境界線の隙間がなくなった。同じ「悲しい」でも人によって違う。
実体験があるから人によって感情は違う。一致しないことを知ること。
怒った時に叫んだりする、それが感情表現。
言語に偏り過ぎているのではないか?